QOL
金、名誉、学歴すべて幸せとは感性ない。幸せは数字じゃないし、人と比較できるものではない。
自分はこれをしてる瞬間が1番好き。というものさえ、あれば良い。それだけを追い求めても良い。
私の場合、心が躍る本、映画を見ること。新しい価値観を知ること。そして、疲れた時には、ボン・イヴェールのような素敵な音楽を聴くこと。音楽をききながら、冷えた夜に自転車を漕ぎながら、夜空の月を見上げるとこと。
この瞬間。私は、最高に幸せだ。世界一幸せだと感じる。こんなにも素敵で美しいのだと、この世界を全肯定できる。
そんな瞬間が、たまに訪れるだけで、私には「生きる意味」があると思う。
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「生きる意味」を読んで
倍音
声の出し方、倍音というものがある。1番低い音が基音。周波数を重ねる。整数時倍音。基音こから音を震わせる。モンゴルのホーミーが倍音を聞き取りやすい。と、意識して話そうとするが、すぐに忘れてしまう。1日の中であれだけ声を出す機会があったのに...。
周りの評判を気にしない。自分のやるべきことに集中する。忙しい方が良い。次に何をやるかが決まってないと作業が停滞するので、プランを立てるって非常に大事。
「礼」「仁」←良い言葉。大事にしたい。特に礼。誰に対しても、いい加減な態度で話を聞いてはいけない。真摯に向き合う。
会話は量よりも質である。よく聞き、頷く。言葉を選んで的確に話す。発した言葉に責任が持てるように。
自分と向き合うための日記
この日記のルール
①正直に書く
②簡潔で本質的に
③毎日継続する
基本的に帰りの電車で書く
グラディエーター(2000)
ここまで清々しい畜生は久しぶりでしたね。
そうです、ホアキン・フェニックス演じるコモドゥスさんです。
ん、コモゥドスだっけ?コモドゥス?まぁいいや。
その畜生の所業を簡潔に述べますと、
父殺し→マキシマスの家族虐殺→近親相姦→子供を人質→
って、これだけでもう既に最低(畜生役としては、最高!)。
極めつけは最後、マキシマスと潔くタイマンで決闘を挑んだかと思えば、控え室でナイフをプスっと....。間違いないです、こいつ、最低です!!
あまりの畜生さに思わず笑ってしまった場面もいくつか。ここまでくるともはや清々しいよ!
もちろん、ホアキン・フェニックスは素晴らしいんですがね。なんというか、彼の生まれ持った妙に癪に触る畜生顔と、役柄のド畜生さが相乗効果で、畜生点数、ざっと5億点ですね。
もう1度言うけど、ホアキン・フェニックスは素晴らしいです。むしろ、スパイクジョーン監督作「Her」での、なんとも物哀しげな独身男性役とかねらうーん、表情力あります。
その中でもグラディエーターのコモドゥス役は、彼のフィルモグラフィーに残る怪演でした。
うーん、それにしても、畜生だったなぁ(クドい)。
コモドゥスの畜生具合については、語ろうと思えば朝まで語れる熱量ですが、主役はもちろんラッセル・クロウ。ちなみにグラディエーターは73回アカデミー賞の超大作です。監督は「ブレードランナー」「悪の法則」でおなじみリドリー・スコットですね。
リドリー・スコット作品の中でも「グラディエーター」はついつい後回しになってしまいましたが、観て良かった。
どうでもいいですが、ラッセル・クロウが故郷をフラッシュバックするあのシーンで私の顔面は顔面ビチョビチョになりました...。
こういう系のストーリ展開というか、負け犬のOnce again物、私的に、大好物です。
2017〜
2017が始まって、早1ヶ月とすこし。1月は月15本となかなかの好スタートです。
中学生の頃から映画(DVD含む)は、毎年少なくとも50本〜100本観ていて、食指の赴くままには片っ端から観てきました。しかし、気がつけばそれらが片っ端から忘却の彼方へ吸い込まれていくではありませんか。
気がつけば「あれ?なに観たんだっけ?」の痴呆状態に。...なんとかせねば。
さらに、末期症状としては
「意図せず同じ映画を2度見る」
「意図せず同じ映画を3度観る」
「他の作品とキャストごっちゃになっている」
「なぜか自分の都合の良いようにストーリーが 改竄されている」
などなど、枚挙に暇がない。
そして最近、私が最も危機を感じているのが、これまで脳内にアーカイブされてきた無秩序な映画記憶が記憶の断片が、勝手に統合・再編され、オリジナルのサーガを創り上げようとしていること。またはドン・キホーテよろしく、現実と虚構の境界線が曖昧になってきていること。...なんとかせねば。
前置き長くなりました。私が言いたいことは観た映画を、備忘録としてブログに記すよ、ってこと。そんだけです。
私にとって、映画は趣味。私にとって、映画は娯楽以上でも娯楽以下でもありません。
なので、小難しい批評はしない。押し付けもしない。備忘録なので、映画のタイトルだけ記すとこも多いと思います。